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2017.06.29 Thursday

近代の文豪らを偲ぶ 始まり

東京へ遠回りするからには…と計画を立てたのが、近代文豪のお墓めぐり。まずは、かの夏目漱石先生です。調べてみると「雑司ヶ谷」という墓地。近代の文豪やアーティストたちがたくさん眠られている大霊園とのこと。私の好きな泉鏡花も、こちらで眠られていると知りました。

ちなみに、京都にも谷崎潤一郎のお墓等ありますが、近代以降の文豪の墓標は、ほぼ東京に集中しています。日本の文芸シーンは、特にこの時期、東京にあったと考えて間違いないのでしょう。
日本史の上で、文芸の中心地は長いこと西日本側に偏っていましたが、江戸期になると、東と西とで文化シーンが2分されていた時代がありましたね。しかし、近代から現代に至っては、完全に東(東京)に持って行かれた感は否めません。文豪のお墓の在処を調べるだけでも一目瞭然です。(関西人としては)ちょっと寂しいことですが、これも、日本文化の形成上、そうあるべくして、そうあるのでしょうね。

さて、そんなわけで、雑司ヶ谷墓地に近いホテルを予約していました。しかし、大雑把なワタクシは、実にテキトーな把握しかしていなかったりで。(^◇^;)
デザイナのYさんから、深夜の地下鉄の中で乗り換えや道順のレクチャーを受け、無事にホテルに到着できたわけであります。彼が降りるはずの最寄りを一つ多めに送ってくださって、ほとんど田舎のおばあちゃん状態で、お気遣いいただいてしまいましたです。本当にありがとうございました。

………閑話休題。

雨でしたので、タクシーに乗りました。
前夜、Yさんから、「そこからなら(墓地まで)中途半端な距離なので、雨が降ったらタクシーがいいかもしれませんね」という助言をいただきましたので、受付にタクシーをお願いしました。すると、受付の方から「中途半端な距離なので、ここまで呼んで初乗りを払うのはもったいない。大通りで流しを捕まえる方がお得ですよ」と、さらにアドバイスがあり、それに従って、大通りでタクシーを捕まえて場所を告げ「近くて御免なさい」と伝えると、「いいえ、中途半端な距離なので、タクシーに乗った方が得策です」と。
いやぁ、笑えました。いかにタクシー乗るのにちょうど良い距離なのかが、よくわかるエピソードですね。笑
「墓地っと行こか〜」と運転手さんに、ダジャレを言いたくなるのを、グッとこらえまして。初乗り410円で到着。^^

…と言うことで、いよいよ雑司ヶ谷墓地へ。
風情のある良い墓地です。古いのですが、その古さがとても好いですね。

(本題前で息切れしてしまい、次回に続く…)

2017.06.28 Wednesday

タロット映りし我が姿かな 

あいさんの作った朋百香さんの鏡

以前にブログにも書きましたように、京都での原画展の折に、天啓のように強烈に感じたことが、「京都タロットとは、絶対肯定のカードである」ということ。
今回も、もちろん、その啓示に驚き、感じながら見させて頂きました。

京都タロットは、ただ、今の『あなた』を鏡に映したように見せてくれます。
そこに「判断」は本来ありません。

人は過去を診断して、未来を予測しようとします。
それは、もちろん悪いことではありません。
私自身も、本当のところ、今すぐにでも啓示が欲しい事柄があったりしますよ。まったく。笑
タロットを「引く」人の多くはそうであるだろうと思います。

でも、困ったことに(笑)、京都タロットは、そういう解決法を見せてはくれません。
このことは、実は今回の原画展で一気に見させていただいて、気づいたことです。

今回の長平庵さんで、はっきりとわかったことは、「京都タロットを展開する」ということは、

京都タロットという形で、今のあなたが、机上にただただ浮かび上がっている…

…それを観る。観る。観る。ということです。

それが、何を表しているかおわかりでしょうか?
京都タロットと向き合うということの意味です。
私が、ここで伝えたいことは、

その時、「あなた」と「京都タロット」が一体であるということ。
これは、「ふつう」でありながら、同時に「すごい」ことなのです。

ここに、全く新しい解決法があります。
いや、えっと…全く新しいとまでいうのは、たぶん誇張ですね。すみません^^;
しかし、私たちの慣れ親しんだ「原因と結果」という物事の見方や、過去ー現在ー未来という直線上に理解をしている「時間軸」なるものから、少し離れてみることが、このタロットとの触れ合いにより感じることができることを伝えたいのです。

簡単に言えば、捉われないあり方の神秘を味わう「隙間すきまが、ここに即座に現れる、ということ。

ちなみに私は、従来の「原因と結果」というものの見方も、とても大切にしています。
そうして、現実を構築していく中で生まれる「血」と「汗」もまた、尊いものです。

ただ、そこにプラスアルファ的でありながら、大きな変容、変化を人生に招き入れる可能性があるのが、京都タロットだとお伝えしたく思いました。

ここがまさに!実に!すべからくお知らせしたいところであり、今回到達(というのは大げさですが…;)したところですが、話が長くなるので、また、どこかでお話しできればと思います。ああ、説明がうまくいかなくて歯がゆい。なにせ、気づいたばかりのことなもので。そのうち、脳内がもうちょっと整理され、まとまってくると思いまする。

†      †

一ヶ月前に急きょ開催が決定した長平庵での展覧会。ちびっ子がいるので、なかなか都合がつかない身なのですが、下のボンは夫と実家遊びしてくれることになり、そればかりか、夫から「せっかく横浜まで行くんだから、日曜日は東京でも寄ってったら?」などと背中を押してもらったおかげで、楽しいおまけまで付いて、素敵な一人旅になりました。(夫よ、あなたこそ京たろうさん♪)

ワクワクひとり旅の様子は、またアップしますね^^

2017.06.28 Wednesday

そのお部屋、長平庵(朋百香さん原画展@横浜)

たいへんご無沙汰しております。
(日々にボーサツされておりまして、更新する余裕がありませんでした。すみません;)

さてさて、今回、久しぶりに更新いたしましたのは、、、
先週末、京都タロット原画展が長平庵(朋百香さんちの私設ギャラリー@横浜)で開催され、私もおじゃまさせていただくことになりまして、そのご報告をばさせていただこうと思います。

(今回の展覧会は「聞いてないよ〜」とおっしゃる方がほとんどだと思いますが、昨年の京都での原画展に来られなかった朋百香さんのご友人の方を中心にお声を掛けられ、予約制にしまして、こっそりひっそりと開催させて頂きました。DMなども出しておりませんが、お許しください)

 †      †

「はい、ミケさんはこちら」と通された間こそ、私がいつの頃からか憧れ続けていた「そのお部屋」でした。

大正ロマンの間。

明治から大正、昭和初期に掛けての近代文豪たちを敬愛するワタクシは、憧れのあまり、自分の小さな書斎も、大正ロマンを標榜して『三毛庵』などと名付け、せっせとナンチャッテ大正ロマン風に設えてきましたが……嗚呼、此処にきて、本命登場〜。( ̄ー ̄)*

この懐かしいような、晴れやかなる空間。
目指していた「お部屋」が、「ここ」に用意されていたという喜び。
ひたすら「キャーキャー」と小さい声で弾んでしまいました。(←おやめなさい、ワカイコやあるまいし……^^;)

そこで、私はまる二日、ひたすらタロット占いに興じておりました。

実は、京都での原画展のすぐ後に声帯を痛めてしまい(厳密には声帯の周囲が炎症を起こし=原画展での喋りすぎが原因ではございませんよ〜笑)、声が出にくくなって約半年経ちました。今回の展示会を楽しみにしつつも、少し危惧を感じていたことが、この喉の調子でした。
ダミ声で申し訳なく思いながらも、喉の調子もまずまず良く、楽しく過ごせましたこと、とてもありがたく嬉しく感じています。

何といっても、ここは、京都タロットの物語が生み出された場。彼らの生まれ故郷であり、眠る場所でもあるのです。朋百香さんが6年に渡り、来る日も来る日も絵筆をとられていた長平庵。私が愛おしく感じずにいられるわけはありません。

 

(長平庵)洋館部と町家部

 

 

夜の長平庵(洋館部)

 †      †

今回は、おおよそ30名様の方を京都タロットで見させていただきました。
ありがたい出会いもあり、嬉しい再会もありました…。

…いつも朋百香さんのブログで拝見しているお姉様方。
鏡のスートの製作時に朋百香さんの鏡を製作中だったというあいさん。
前回、懇意でカードと素敵なレゾネまで制作してくださった加藤社長とご夫人の待子様。
10年前に夢見のレッスン講習会に来てくださったKさんとの再会。

お会いしたかった方々、思いがけない方々との、その空間での邂逅がありがたく、また、大切なお話を聞かせていただけて、勿体無く感じているところです。

(※朋百香さんの原画展での楽し〜いご紹介記事は、ぜひこちらをご覧ください^^)

 

 

お着物の姉君の勾玉シスターズ(謎)の皆さまと あいさん製作の鏡。

続く…

2017.01.20 Friday

赤い服を着た俳優の夢から剣の宮への考察

たいへん、ご無沙汰してしまいました。ゆるゆると再開します^^

今年1回目の投稿は、ある夢見から、京都タロットについて考察するお話です。

 

映画のワンシーンと思しき場面を見ている夢を見ました。

全身、真っ赤っかな服を着た古谷一行が胸を刺され、彼が「これは鬼龍院か」と切りつけた相手に尋ねます。相手は「違う、矢音(やおと)だ」と答えます。

互いに不思議な顔をして見合わせる二人。
矢音なら致命傷を受けるはずなのに、どうやら自分は助かっているということのようです。討った方も討たれた方も、あれ?という感じなのです。
その時、矢音を受けた誰かが後ろの方で倒れた気配がしました。
二人とも、何が起こったかよくわからないという感じです。

この同じシーンが3回繰り返されるという変わった夢でした。

リピートする夢なんて、そうそう見るものでもないですし、真っ赤な古谷一行の衣装も印象的すぎて、これは注目すべきだと夢の世界から言われているようでした。
...

さて「矢音」とは、この夢では、刀の名前ですが、一般的には、刀を振り下ろした時の音の表現として使われることが多いように思います。

(こんなふうに言うと、私が普段から、このようなことに詳しく、よく考えている人のように思われるかもしれませんが、この夢を見るまで、ただの一度も、刀の種類や名称、あるいは「矢音」という表現について考えたことも、脳裏をかすめたことすらなかったということを、付け加えておきたいと思います。また古谷一行さんのことも、金田一耕助役で知られていることと、MEGUMIさんのお舅さん(笑)というくらいのことしか知らず、特に考えたこともなかった俳優さんです)

最初に思い浮かんだことは、京都タロットの宮(スート)のひとつ『剣』について示唆を受けたのではないかということです。

 

『剣の弐』の背景は赤色です。
『剣の参』の背景は青系ですが、剣の弐の背景と同じ赤の格子の模様がほんの少しだけ使われています。
つまり、この二枚は繋がりとして見るべきでしょう。(いや、この2枚だけでなく、すべてのナンバーは繋がって並んでいるのですが)

剣の弐は、最初の二人を暗示します。古谷一行と刺客の男性です。
そして剣の参。これは、場面には直接出てきませんでしたが、矢音で切られた3人目の「だれか」を暗示しています。
このように見ればわかりますが、この2枚は『矢音』という一つの軸に貫かれているのです。


私は、前にこの2枚の解釈で、
剣の弐には『折衷案を探る、歩み寄り。新しい考えを招き入れる』
剣の参は『行き詰まる。心が乱れる』という意味を付していました。

この解説では、剣の参は、否定的な意味合いの強いカードであったわけですが、実は、必ずしもそうではなく、かつての何らかのアクション(@矢音)が、意図ではないところに爪痕を残していることを知ること。または、伐られた側(古谷一行)から見れば、ある種の「身代わり」という守りがあることも語っているように思うのです。

 

ここまでまとめて気づくことは、あの夢は、メジャーカードの『拾伍、オロチ』、さらに『八、エンマ』のことではないかということです。
三の数が三回リピートされることは3×3=9と考えられなくもないですが、私は三進法を連想してしまいました。
三進法で3ずつ繰り上がって3回目の数字は、馴染みのある十進法で言えば「8」にあたり、さらに三進法でなら「22」です。そう、22はメジャーカードの枚数で、8はエンマでもあり、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)を連想させる数字でもありますね。
『拾伍 オロチ』はヤマタノオロチ伝説をテーマにしましたが、そういえばオロチのスサノオノミコトも『八、エンマ』の閻魔さん≒小野篁も赤い着物に身を包んでいますし、なんだか夢の中の古谷一行ともリンクしていますね。さらに、古谷一行が最初に『鬼龍院』かと刀の名を尋ねていました。鬼龍という言葉は、まさにオロチっぽいです。

 

……なんだか、かえって、ややこしく感じてしまったらごめんなさい。
 

(前に書いたことがあるかもしれませんが、私は、あの2枚のカードに繋がりを感じていまして、それをどのように説明したらいいのかを、ずっと考えていました。…なので、夢の世界の私が、あの手この手で解説してくれたのだろうと思えます。)


あの剣の2、3の2枚が「矢音」という軸に貫かれていると先ほど書きましたが、実は「矢音」という軸は、あの2枚だけではなく、すべての剣の数カードを貫いており、さらに8と15を含めた剣の宮全体を象徴したものではないかということです。

 

 

また、日本人にとっては特に、「三」というのは、とてもメジャーな数字で、ラッキーナンバーにしている人も多いのではないかと思います。
3本の指に入るという言い方もあるように、日本三大〇〇など、3つの立派なものを並べ称したりもします。
そんなあれこれを考え合わせながら、あちらのブログで書いた、三叉槍という三と剣(槍などの武器)のシンボルを考えてみますと、わかりやすいように思います。

3つの槍は、致命傷を負わせるほどの強い力を持ちながらも、強い守りにもなっているということです。
...

 

◉『拾伍,オロチ』の伝えたいこと

三種の神器の一つ、『草薙の剣』がふと浮かびました。攻めも守りもあるという、ヤマタノオロチ伝説でのスサノオノミコトが見せたような、闘う人の本当の強さを示すシンボルが三と剣の組み合わせにはあって、それが、草薙の剣として象徴されているように思えました。もちろん、その剣先が三又になっているって意味ではありませんけれど。

草薙の剣とは、きっと、あの夢で例えるのなら「矢音」のこと。先ほども書きましたが、刀を振り下ろした時の音を「矢音」というように、草薙の剣というのは、実体があるというより(熱田神宮に存在すると言われていますが、そういう意味ではなくて)、その神がかり的な勢いや強さを象徴する名前。

数カード『剣』の弐から参に現れているのは、行き詰っても、折衷案を探り、一致点を見出すなりして、新しいアイデアを見出したり受け入れたりすること。剣の宮は、とどのつまりその繰り返しであろうということです。

タロットの15番といえば、ネガティブな意味合いが目立ちますが、実際は守られており、うまくいっていることも、それゆえ遊び心を持って闘いに挑むことも、京都タロットの絶対肯定性として、伝えたいところだと改めて思ったわけです。


◉『八,エンマ』の伝えたいこと

エンマは剣の宮全体の統括カード。オロチで見つけた『草薙剣』は、ここでは『閻魔さまの尺』として現れています。裁くことは、伐ることに同じ。もしくは、直接伐ることなく、裁け(判断せよ)と、閻魔さまの透徹した眼差しこそ、この宮で望まれていることだと教えてくれているわけですね。それゆえ、剣の宮(Sword)は「思考」を担っているとされているのです。

剣の宮を貫いているとした『矢音』。やはり、草薙剣そのものですね。音で『実体』を感じさせるのですから。そもそも幻でしかない世界を、できるかぎり適切に捉えるという力。矢音とは、まさに思考の力です。

 

 

さてさて、そんな京都タロットのことを、これからも思うままに綴りたいと思っています。西洋タロットを踏襲している面もありつつも、かなり違うものでもあるとも言えます。楽しんでお読みいただければ嬉しく思います。

2016.12.21 Wednesday

剣の九、たとえ形勢不利であっても

このスプレッドは、犬をも喰わぬ口論をしたあと(いんや、口論と言っても、一方的に怒られているだけなんだけど…^^;)に展開したもの。下の3枚が通常の三柱鳥居法。見る人が見ると笑えるのでは?

ここでは『剣の九』について。「形勢がどうしても不利」というカード。笑

 

ただし、絶対肯定の京都タロットは、ここでガッカリなどいたしませんよ。「形勢不利」という状況が、「現在、完全にオッケー」であると読みます。すると、見えてくるでしょう?

『八、エンマ』『六、ムスビ』の真の意味が。

 

確かに、口論の時はズタズタに傷つきましたが、ここではその不利な状況を変えようということではなく、だからこそいいのだと率直に反省をして、忘れることは忘れ、あるいは惰性になってしまっている悪しき習慣(←これについて怒られまして…)を潔く切り捨てることで(エンマ)、より良き強いパートナーシップが育まれる(ムスビ)ということを教えてくれているわけなのですね。

 

さらに、アドバイスを求めたところ『拾、コノハナ』。このパートナーシップから何かが生み出されるという暗示までいただきました。(@もう、赤ちゃんは結構ですが…by.アラフィフママ)

 

このあと、『剣』について洞察する夢を見ましたが、それはまた次回^^

2016.12.15 Thursday

男の子たちの愛とロマン〜剣の神秘〜

夫のシャツを梱包していた袋の中に、こんな面白い形をしていたクリップを見つけました。

この形を見て、すぐに脳裏をかすめたのが、ホロスコープの海王星マークです。

このマークの元になっているのが、ギリシャ神話に登場する海神ポセイドン。 シバ神も同じものをお持ちですね。

これを三叉槍(さんさそう)と呼びます。三又のヤリ。
トライデントとも言いまして、「三つの歯」という意味です。海の神様が持っているということは、もともとは魚を捕獲する銛(もり)の役割だったのでしょう。

しかし、このトライデント、ただの銛とは違います。洪水を引き起こしたり、泉を沸かせたり、摩訶不思議な力が宿っています。ポセイドンは嵐と地震の神として恐れられていますが、三叉槍はいわば破壊の力を象徴しているようです。

破壊神といえば上のシバ神もそうですね。インドにおける創造と破壊の大神です。

 

 

毘沙門天さんの持ち物にも、この三叉槍は定番です。鞍馬寺にある国宝のこの毘沙門天像さん。こちらの三叉槍は海王星のマークより天王星のマークの方が近いですが。
それにしても、迫力ありますね。遠くを見渡すこのポーズ。どこに隠れていても見つけだされそう…。

あの空海さんが護摩祈祷するときに使ったという密教法具、三鈷杵(さんこしょ)。空海さんの肖像画の多くは三鈷杵を持っています。おそらくですが、三叉槍(とそのパワー)が由来なのではないでしょうか。

まだ、天津神と国津神の区別のなかった太古の時代、古事記では「国産み」の伝説として知られていますが、イザナギさんとイザナミさんが、まだ海もなく山もなく混沌としていた大地をコンロコンロとかき混ぜて、その切っ先から滴った雫から島ができたものが日本国土の始まりであると神話は語ります。

この時に手に持っている道具を天の瓊矛(あめのぬほこ)と言います。宮崎県の高千穂には、このような天逆鉾(あめのさかほこ)の像もあるようですが、よく見れば切っ先が三又ですね。ちなみに天逆鉾というのは、天の瓊矛が「逆さ」に刺さっているところからそう呼ばれているそうで、天の瓊矛と同じものです。

槍や鉾には、破壊だけではなく、そもそも「創造」の力も宿っているとされたのは、このような神話が根拠になっているのでしょう。
では、さらにここで、もっとその奥を探ってみましょう。
なぜ、槍や鉾が創造のモチーフとなっていったか、そのはじめのはじめを。
神話の根源を感じたいと思います。

これらの槍をじっと見てください。
確かに、ただの武器というより、何か不思議な力が宿っているような気になりませんか?
そして、その上で神話を浮かべてみましょう。

 

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2016.12.14 Wednesday

プーチンさんとイザナギ考

まもなくプーチンさんが訪日されるということで、夕方の情報番組でプーチンさん特集を見ました。
たいへんなスポーツマンで、還暦を回っておられますが、実はかなりマッチョ。
(当然ですが)ものすごく頭が切れて、しかし、情に篤い人だという感じがしました。まあ、番組の作り方によって印象は左右されるでしょうけど。(-_-)

プーチンさんは柔道を幼い頃からなさっているようで、その縁であの山下さんとも交流を持たれているそうです。山下さんがおっしゃっていたことは、

明晰で懐の深い人で、冷徹なところもあるが、奥底に熱い思いが感じられる。
ただ彼は、ロシアの国益を第一に考える一国のリーダーであって、日本のために物事を考えているわけではないので、「日本のことも考えてくれるだろう」という甘い見方ではガッカリするだろう…

というような内容でした。まさに と感じました。
そして、このカードを思って、なぜか込み上げてくるものがありました。

このカードにある厳父性とでも言うべき強さと情の深さ。
大きな情を抱きつつも、しかしその中にどれほどの涙を呑みこんだことだろうと。
「お手柔らかに」なんて甘い泣き言は、一瞬足りとも洩らせなかっただろう…そんなことが思い浮かんで、ぐっときました。
あのような大国において、リーダーを務めるというのは、私などでは想像もつかないことです。

 

彼は第一義のためにつまり国益のために、多くを犠牲にしてきたことでしょう。その下には数え切れないくらいの個人的な涙もあったことだろうとは思います。しかし、もはや第一義と彼は一体であると言えるくらい、イザナギそのものであるとも言えそうな気がします。第一義こそが、本心、本懐だと信じ込めるくらいに。

 

あ、ロシアの方にイザナギというのは違和感があるかもしれませんので、スラヴ神話から。

スラヴ神話には、軍神『ペルーン』という神がいまして、スラヴ神話の主神、もっとも有名な神様です。
あまり画像が残っていないのですが、私の記憶ではペルーン像もだいたい剣が描かれていたと思います。

 

軍神ペルーン

剣は一本の大きな筋であり軸。信念を表しています。
善悪の善というより、彼が善と「信じたもの」を表しています。
「筋の通らない」ことを嫌がることも特徴です。
しかし、その頑固さ、鉄の意志で涙を呑み込み、切り開く強さ。それにより現実化されます。それがイザナギ性です。

まあ、むろん、この方も、イザナギ性で対処しておられますが。

どうしてもスケールが違います。これはどうしようもないこと。
大国と島国の違いとでも言えましょう。
島国では、このほどほど感も大事です。笑
あまりに強大で有無を言わせぬリーダーというのは、大国をまとめる人物には不可欠な素質と言えるかもしれませんが、この小さな国では危険なものがある気がします。

そんな折に、我が家の親分が新しく購入したシャツに、このようなものが付いていました。たぶん、シワが寄らないためかと思われますが、なんだか剣っぽい。

男性の白いシャツの背筋の部分に剣型。いかにも戦うビジネスマンぽくてカッコいいシンボルを見た気がしましたわ。笑

また、剣についてもどこかで書きたいと思います。

2016.12.10 Saturday

良縁のちから

高校時代の親友のM子とランチ。「親友」と呼べる人は実は少ない。
ゆっくり話したのは10年以上ぶりだったけど、会える頻度に関係がない存在。何年も会わなくても、いつも幸せを祈っている人というのがいる。それは手を合わせて祈るということではなくて、忘れることがないというような、そういう人。話していても、内容ではなく、伝えたい「何か」が伝わっているのが感じられる人。彼女が伝えたい「何か」が違和感なく理解できること。


やんちゃで勝気な娘時代を共に過ごした日の、その記憶自体が薄れても、あの頃に共有した「何か」は、何年離れていても枯れることがない。幼なじみというアカンかった時期を知っていてくれる人種(笑)とは、実に不可思議なもの。その「何か」にはどんな判断もなく、泣いてても、悪態ついても、やさぐれていても、大きな受容だけがそこにある。言葉にすれば陳腐すぎて言えない「それ」は、喜怒哀楽を丸呑みしている。

「何か」「それ」は、このカードに流れているもの。西洋タロットの『恋人たち』だが、単純に恋人関係という意味ではない。

このカードに託したものは、友をまるっと許しているそれ。許されているそれ。縁というのは、さまざまな関係性において浮かび上がるもので、ムスビという惹かれ合う力は「良縁」と呼ばれる。

 

◉「それでも君と惹かれ合う『六、ムスビ』」の解釈はこちら=公式サイト『京都タロット 宙のメサージュ』より

ここでは「新しい関係性をもたらす」とサブタイトルを付けているので、今回のテーマとの矛盾を感じるかもしれないが、「新しい関係性」の根底にあるものを指し示している。新しい関係性は、実は古い何かが由来しているかもしれないという側面。

2016.11.30 Wednesday

神話は、鏡面のように反転して現実を映す

──足の親指から生まれた一寸ジジイの夢

足の親指から、『ちっさいおじさん』が出てくるという夢を見ました。よく見ると、ただのちっさいおじさんではなく、数年前に他界した私の父でした。

しばらくすると、父はまた指の中に戻り、そのあと、口の中から再び出てきました。親指姫ならぬ親指おやじというか、一寸法師ではなく一寸ジジィというか、小さな小さなミニチュア親父が、私の体の部分から現れ出るという、とてもファンタジックな?夢を見ました。

奇妙奇天烈な、だからこそ、ある意味とても夢見らしい夢見でもあった一寸爺の夢でしたが、夢見というのは、神話の原型、つまり物事の成り立ちを教えてくれる場合も多いようで、この一寸爺の夢見にも神話的な含みが感じとれました。

 

──神の身体の一部から発生する神々たち

神々は、分娩によって生まれる場合もありますが、神話の始まりの頃の神々は、親となる神様の一部分から発生するように描かれることも多いのです。
たとえば、古事記にあるアマテラスとスサノオの誓約(うけい)と呼ばれる一節には、アマテラスはスサノオの持っている剣を口に入れて?み砕き、その時の息の霧から三柱の女神が生まれ、そのあと、アマテラスのもっていた勾玉をスサノオが噛み砕くと、その息の霧から五柱の神々が生まれたというものがあります。

 

また、ギリシャ神話の有名な女神アフロディーテ(ヴィーナス)は、天空神ウラノスの切り取られた男根が海に落ちて、その時沸き立った泡から生まれたとされていたり、エジプトのライオンの顔をした女神セクメトは太陽神ラーの左目から、あるいは、象の神様で有名なインドのガネーシャ神は、母親のパールバティが体を洗った時の垢から……等、神様が神様の一部から現出するお話は、まだまだたくさんあります。

また、それらの神話は、近親関係間に見られる例が多く、たとえばアマテラスさんとスサノオさんは姉弟ですし、そもそもお二方とも、イザナギさんの左目からアマテラスさん、鼻からスサノオさんが生まれています。

近親者と結婚したり、あるいは交わって、あるいはやりとりの中で生まれ出る神話は世界中にあります。
一寸爺の夢見でも、私の足の親指と口内から出てきたのは、紛れもなく私の亡父でした。

 

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2016.11.29 Tuesday

金縛り奇譚 本当に魑魅魍魎は跋扈しているのか

先日、大学生の娘が「久しぶりに金縛りに遭うたわ」と告げました。

合宿から帰ってすぐだったので、だいぶん疲れていたようです。

疲れていると、肉体の就寝と、意識の就寝にタイムラグが生じることがときどきあって、そのズレに金縛りという一種の不快症状が起こるのではないか、と私は仮説を立てました。

 

──深夜の騒ぎ声の秘密

 

金縛りにかかるとよく、家の前の小さな通りを人の集団がガヤガヤと騒ぎながら通っていく幻聴が聞こえます。

すぐ近くに大学があるので、最初は、学生の集団が本当に歩いているのかと思っていたのですが、隣人さんに「真夜中、大勢の人が家の前を通らはった?」と訊ねてもどなたもご存知ない。

それで、これは、金縛り時によくある、ただの幻聴の一種だと考えるようになりました。

 

ところが、娘も全く同じこと=金縛り時は家の前を学生の集団が通過する声が聞こえる=と言い出したのです。ちょっと不可思議には感じましたが、集団の騒ぎ声が聞こえるというのは、意外と「金縛りあるある」かもしれないと、娘と話していると……

 

30年ほど前に一度しか金縛りを経験したことがないと言っていた夫までもが、3日ほど連続で金縛りに遭い、「大勢がガヤガヤと外通りを過ぎていく音がした」とやっぱり言うのです。それまでに、娘も私も、この幻聴のことなど、一度も夫に話したことはありませんでした。

これって、金縛りのあるあるなのか、我が家的あるあるなのか?

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